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第二章【13】

「あら、いらっしゃい。初めての方かしら」
 新しくやってきた客に、レオーナが笑顔を向ける。旅人はそうだ、と頷いて、一目散に彼女の元へやってきた。店内には、まだ昼前ということもあって客もほとんどいない。もうじき六の月、麦の収穫期が間近に迫っているので、村人達は畑仕事に大忙しだ。大きく開け放たれた窓からは、爽やかな風が絶え間なく入ってくる。
「あなたはここの女将か?」
「はい、そうですけど?」
 にこやかに答えるレオーナに、旅人は前置きなしに尋ねてくる。
「実は、この村に奇妙な卵があると聞いてきたんだが……」
 レオーナの瞳がほんの一瞬揺れる。
 (村長さんが言っていた、卵ちゃんの事を調べてるって輩かしら……)
 あの村長は、なにかと『見果てぬ希望亭』に足を運んでは、レオーナや客たちと他愛のない会話を楽しんでいく。その会話の中で彼は様々な情報を得て、村の為に役立てているのだと、レオーナは知っていた。糸目でお人好しな村長だが、抜け目ない一面も持っている。でなければ、こんな平和な村だとて、あの若さで村長の地位につくことは難しいだろう。
(こないだはケルナの神官さんが聞き込みに来たかと思えば……この村も有名になったものね)
 突風以来、エストは以前に増して活気付いている。それには突風の翌日赴任してきたユーク神官のラウルと、更にそのラウルに拾われた卵が大きな要因なのだが、なんにせよ村に活気があるのはいい事だ。
「まあ、お客さんも噂を聞きつけてやってきた方?本当に噂が広まるのって早いわねぇ」
 少々大げさに驚いてみせるレオーナ。噂は時に人の足より早く広まると言われるが、まさにその通りである。
「なんでも、ユーク分神殿の神官が、大きな卵を入手したとか……」
 慎重に言葉を選んでいるような旅人に、レオーナは内心いぶかしみながらも、愛想よく答える。
「そうなんですよ。大きな卵で、光ったり動いたりしてかわいいんですよ。もう、村中卵の話で持ちきりですわ」
「光ったり、動いたり?」
 目を丸くする旅人。
「でも、売れば金になるなんて噂まで流れているらしくて。お客さんの他にもここ数日で何人か、卵を一目見ようとやってきた方がいましたけど、神官さんに追い返されていましたわ」
 何でも、人見知りがひどくなってしまったようで、ラウルやマリオ、レオーナなど一部の人間以外に近づかれると鳴き叫ぶのだという。この間鳴き叫ばれた村長は、心底悲しそうにレオーナにこう愚痴っていた。
『なんでですかねえ。私が怖い人間に見えたんでしょうか。別に危害を加えようと近づいたわけじゃないのに』
 まあ、赤ん坊などは一時期、家族以外の人間に対して人見知りをする事があるから、きっとそういう時期なんですよ、と宥めたレオーナだったが、
(それにしても、どこで人を見分けてるのか分からないのよね……)
 と、ラウルと同じ疑問を抱いていた。
「一目見るくらい、構わないだろうに」
 旅人の言葉にレオーナはいたずらっぽい顔で
「神官さんもお仕事がありますもの。それにとてもお優しい、慈愛に満ちた方でいらっしゃるから、『卵は見世物じゃないし売り物でもない』って憤慨されてましたわ」
 少々誇張がある気もするが、旅人はレオーナの言葉を信じたようだった。
「心ある者に拾われて、その卵も幸運だな」
「ええ、本当ですわ」
 ちょうど会話の切れ目になったところで、奥にいた客から注文の声が上がる。
「すいません、失礼しますね」
 一言断って客の席に向かうレオーナを目で追いながら、旅人は何事か思案しているようだった。
 と、両開きの扉が開いて、賑やかな声が入ってくる。
「いやー、お腹空いたなあ」
「朝からずっと畑仕事の手伝いでしたもんね。レオーナさーん、いつものお願いします」
「三人分」
 ルーン遺跡探索をしている三人組である。どやどやといつもの席に向かう彼らと入れ違いに、旅人は何も言わずに去って行った。
「あれ、今のお客さん、見ない人ですね」
 その後姿を見ながらエスタスが言うのを、レオーナは意味ありげな瞳で頷いてみせる。
「案外、卵を狙う悪い奴、かもね」
「ええ?」
 目を丸くするエスタスに、レオーナは冗談よ、と笑って、彼らの注文を伝えるべく厨房へと入っていった。


「いい風だなあ」
 窓から入ってくる柔らかな風を胸一杯に吸い込み、春を満喫しているラウル。この村に来てまだ一月もしていないが、目まぐるしく変化する季節に驚きを隠せない。
 ラルスディーンにいた頃、季節は緩慢に流れていくものだった。中央大陸は温暖な気候で知られており、また都心部は建物が密集していて自然が少ない事から、季節感は失われつつある。それに比べてここは、季節を肌で感じられる。やってきた頃はまだ厳しかった夜の冷え込みもぐっと和らぎ、外の緑も日に日に濃くなっていくのが分かる。
「もうすぐ六の月ですからねー。もう上着いらないですね」
 台所から昼食を運びながら、マリオが言う。
 と。
―――ビィィィィッ―――
 唐突に卵が鳴き出した。
「なんだ?」
 小屋の中にはラウルとマリオしかいない。それなのに、卵は何かが気に食わないと言わんばかりに鳴いている。
「マリオ。窓の外見てくれ」
 ラウルの言葉にマリオが走る。しかし、外には誰もいない。
「誰もいませんよ?」
「おかしいな……」
 首を捻るラウル。卵はその後もしばらく鳴いていたが、ふと鳴き止むと、ぴぃぴぃとかわいく鳴いて、ラウルにおんぶをせがんだ。
「はいよ。ったく、わがまま卵め」
 そのわがまま卵の言いたいことがなんとなく分かるようになってしまった自分を恨みつつ、おんぶ紐で卵を背負う。
「俺はこれから昼飯なんだぞ」
 と言いつつもちゃんと負ぶってやるところが、ラウルのいい所である。
「また鳴いたんですか?」
「ああ。知らない人間が近づいた時みたいにな。ま、誰もいないんならただ機嫌が悪いだけかもしれないな」
 さあ食うぞ、と食事に向かうラウル。マリオもそうですね、と食事を口に運び出した。

 そんな二人のすぐそばで、苦々しい表情を浮かべるものがあった。
 小屋のそば、手入れされていない茂みに潜むのは、先程『見果てぬ希望亭』にやってきた旅人の男である。
(勘のいい神官だ……。これは、慎重に事を運ばないといけないな)
 完全に気配を殺して小屋に近づいたはずなのに、神官は外に誰かいることを察知した。
 ただの神官ではこうはいかない。ついこの間本神殿から赴任してきたらしいが、なかなか侮れない人間のようだ。
(ひとまず、情報を集めなければ)
 男は素早い身のこなしで茂みから抜け出すと、一目散に丘の下へと去っていく。その速さはまるで、風が通り抜けたかのようだ。
 風もなく突如として揺れた茂みに、近くにいた小鳥達が首を傾げていた。

第二章・終
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