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第九章【4】

「それって……」
「ええ。殺されて、肉体を操られてここまで来たのでしょう。幸い、警備隊に見つかる前に、私の手の者が発見しまして……。その時にはすでに動く事はなかったそうですが、どう見ても死後十日以上は経っていたという事です」
 ラウルは眉をひそめ、そして苦々しく呟いた。
「ひでぇ事をしやがる……」
 命の、そして死者への冒涜もいいところだ。
「他にも三名の潜入員がいましたが、二人は無事に脱出しています。しかし、一人が消息不明です。これ以上の情報収集は無理だと思って下さい」
「それはいいさ。だが……」
「お気遣いなく。潜入捜査ははなから命がけです。彼らにも最初からそう言い含めてありました」
 淡々と言う村長を、ラウルはぎっと睨みつける。
「捨て駒、ってことかよ」
 例え任務とはいえ、命を使い捨てにするような事を許してはおけない。そんなラウルの怒りを受けて、村長は瞼を伏せる。
「そう思われても仕方ありませんが、ギルドにはそういった者も必要なんです……私とて、好き好んで彼らを死地に送り出しているわけではありません。しかし結果としてこうなることも予想してはいました。……私を、冷酷だと思われますか」
 感情のこもらない声で言葉を紡ぐ村長に、ラウルは息をついた。
「……悪かった。一番辛いのは、あんただったな」
「いえ……私は、長としての責務を果たしているだけです。彼らの死を嘆く事はその範疇ではありません」
 そう言いながらも、彼の瞳は深い悲しみに彩られていた。 それを隠すかのように再び目を細め、いつもの顔に戻って村長は続ける。
「集められるだけの情報は集まりました。あとはこれを整理し、動くだけです」
「ああ、そうだな。しかし……蒸し返すようで悪いが、ギルドの方は大丈夫なのか?もし奴らが死体から情報を得ている場合、知られちゃやばいようなことをが漏れてる可能性だって……」
「心配ご無用です。潜入していた者は皆、ギルドの支部や本拠地の位置、内部構成、また私の顔や名前すら知らされていないもの。ただ命令のままに潜入し情報を集めるだけの者達ですから」
 一瞬顔を歪めたラウルだったが、それ以上の反応は返さなかった。村長も何も言わずに、懐から紙の束を取り出す。
「さて、最終的にまとめた情報をお渡しします。これが正真正銘、最後です」
「ああ」
 それを受け取り、ざっと目を通していくラウル。人数、構成員、理念、一日の動き、そして遺跡内の見取り図や儀式の準備内容など、まさに命を懸けて収集された「影の神殿」の内部事情。その一つ一つを頭に叩き込んでいく。中でも、一番最後に目を通した薄っぺらな冊子を読んだとき、ラウルの表情は目に見えて動いた。何度もそれを読み返し、そして沈痛な面持ちで頭を振る。
「……どう、しました?」
 ラウルに渡す前に一通り情報には目を通していた村長だったが、中には神聖語で綴られ解読できないものもあった。 尋ねる村長に、ラウルは静かに、ただ一言で答えた。
「不死の呪法だ」
 目を見開く村長に、ラウルは絞り出すような声で言った。
「……よく、やってくれた。これがあれば、あの巫女を倒す方法も分かる」
 巫女。彼らを束ねる不死なる少女。彼女を打ち倒すことこそ、この地に蔓延る影の根を完全に絶やす事に他ならない。
「ゲルクのじいさんに見てもらって、ちゃんと一度話し合った方がいいだろうが、これで希望が見えたな」
 そう言って冊子から目を上げたラウルには、力強い意志が漲っていた。 そんな彼に、村長は尋ねる。
「どう、動くつもりですか?」
 彼らは儀式の日取りを教え、彼を誘っている。彼を手元へ引き寄せて、儀式を完遂するつもりだ。それならば。
「儀式の直前を叩いてやる。なにも馬鹿正直に、お誘いの日ぴったりに行くことなんてないんだ」
 脚本をただなぞるだけの芝居などつまらないだけだ。脚本をどう自分なりに脚色するか、解釈するか、それが芝居をより面白くさせる。
「奴らが儀式の準備をしているグレメド遺跡まで、どのくらいかかる?」
「ここからだと徒歩で約十日ってところですが、あの荒野には身を潜められるような場所が少なく、ほとんどが荒れ果てた平野の真っ只中を進むことになります。こちらの動きを悟られないよう移動するとなると、十二日は見ておいた方がいいでしょう」
「そうか……。結構かかるが仕方ないな。闇に乗じて遺跡へ向かい、儀式の始まる直前、奴らがやきもきしているところを一気に叩く!」
 地図上のグレメド遺跡に拳を叩きつける。まだ乾ききっていなかった墨汁が滲んで、ラウルの手を黒く汚した。
「しかし、人数差を作戦で補うにしても、限度がありますよ?」
「なに、五十人以上いるったって、その全部が全部戦えるわけじゃない。ただの平信者、闇の術すら使えない連中は相手にするだけ無駄だ」
 五十人のうち半数ほどが、ただ彼らの理念に賛同し集っているだけの平信者。彼らは一般人と何ら変わる事はない。ただ闇雲に巫女を崇拝し、そして彼らの掲げる理想を追い求めているだけだ。そして残りの半数は、位を頂き術を行使する者が二十人ほど、そして一握りの幹部と、サイハと呼ばれた巫女の右腕。肝心要の巫女本人。
「狙うのはサイハと巫女の二人だけでいい。頭さえ潰せばこっちのもんだ」
 ラウルの言葉に村長も頷いてみせる。
「……特に、巫女ですね。彼女の力をその目で見たものはいないと言われています。それでもなお彼女を慕い、集うものが後を絶ちません。彼女は「影の神殿」にとって、まさに死と闇の象徴。そして、彼らを理想郷へと導く救世主、といった存在のようです」
「救世主、ね。随分と物騒な救世主もいたもんだ」
 嘲るように言い捨てるラウルに、村長は肩をすくめて言葉を続ける。
「この巫女の体は相当に弱っているようで、それを保つために多量の魂を摂取する必要があったそうです」
「それが、突然消えた村の真相か……」
 死体も残さずなくなった村。彼らの命を糧に、あの巫女は悲願の時を待ちわびているというのか。
(そんな生は、紛いもんだ……!人の命をすすって生きる人生に何の意味がある!)
 湧き上がる怒り。しかし、その一方で彼はこうも考えてしまう。
(人の事を言えた義理か……俺だって……)
 ぽん、と肩を叩かれた。ふとそちらを見ると、村長が穏やかな、しかし悲しみを帯びた瞳で彼を見ている。
「ラウルさん。我々は、多かれ少なかれ他の命を奪って生きています。ただ、あの巫女は、生きなくてもいい時間を生き、奪う必要のない命を奪っている。それが我々とあの少女との違い。そういう事じゃないでしょうか」
 ふう、とラウルは息をついた。
「そう、だな」
 まったく、この村長は人の考えでも読めるのだろうか。的確に彼の苦悩を察し、言葉を投げかけてくる。
「俺はそんなに、分かりやすいのか?」
 試しにそう聞いてみると、村長は苦笑いを浮かべて答えてくれた。
「多分、あなたと私が似ているからじゃないですか。この村でヒュー=エバンスとして暮らす前の、血と裏切りに満ちた人生を送っていた私とね」
 彼の若かりし頃がどんなものだったのかは分からないが、それが夢と希望に満ちたものではなかった事だけは想像がつく。
 そんな過去をひた隠しにして、彼はここで平穏な毎日を送っていた。それを逃げと取るか、償いと取るかは人次第だ。
「儀式の準備は、遺跡から少し離れた平野に陣を描くことから始まっています。作業に当たっているのはほとんどが平信者で、彼らは巫女の姿を拝んだ事とすら滅多にないという話ですよ。特にここ最近は」
「そう、か……」
 夏祭の夜、激しい苦痛に襲われていた少女。彼女は長い時を、苦痛に苛まれて生き続けてきたのだろう。そして今も、恐らくはその不完全な生に苦しめられている。
 この間、サイハは「時間がない」といった。それは儀式の日取りのことだけではない。恐らくは、巫女自身がかなりの危篤状態に陥っているのだろう。いかに不死とはいえ、その体は痛みも苦しみも感じる生身の体。彼女が儀式を執り行えないほど衰弱していれば、儀式は成立しない。
「決戦の際にはギルドの人間も動かしますし、この村は村人達が守り抜いてくれるでしょう。あなたはあの巫女を倒す事だけ考えて下さい」
「ああ。分かってる」
 墨で汚れた拳を握り締め、ラウルは窓の外、遥か彼方を見る。
 そこには、一人の少女がいる。苦しみ、嘆き、全てを憎んだ悲しい少女。その魂を安らぎへと導く事こそが、彼に課された使命。
「早いとこ、終わらせたいもんだぜ」
「ええ、そうですね……」


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