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【3】

 簡単な食事を作ってくれながら、ガキは色々と自分の事を話してくれた。
 名前はエル。年は十一。西大陸で生まれたが、旅人である両親に連れられて八才位まで色々なところを回っていた。それ以降は中央大陸に家を構えて暮らしていたが、もうすぐ行われるシールズ共和国の建国十五周年記念のお祭りを見に、東大陸へ渡って来たのだという。
「僕の両親はもともと、シールズで育ったそうなんです」
 小さな鍋をかき混ぜながらエルは言う。八才まで旅をしていただけあって、一通りのことは仕込まれているらしい。野外の食事作りも手馴れた感じだ。
「なるほどね。久方ぶりの帰郷って訳だ。ま、なにが変わったって訳じゃないだろうがね」
 シールズは十五年前まで、風と戦の女神ケルナを崇めるケルナ本神殿が国の統治を行っていた。十五年前に共和制に切り替わったものの、国民の暮らし振りにそれほどの変化はない。
 といっても、まだ十八年しか生きてないオレは、神殿統治時代をそう知ってる訳じゃない。
「ディーさんはシールズの人なんですか?」
 唐突にエルは聞いてきた。ディーってのはオレの通り名だ。盗賊が本名を名乗っちゃいけねえよな、うん。
「ああ、まあな」
 そう答えると、エルは目をキラキラと輝かせ始めた。
「それじゃあ、十五年前の『動乱』を体験してるんですか?」
 動乱。その言葉は、東大陸に住んでる十五才以上の人間には特別の意味を持つ。
 まあな、と答えたものの、当時オレは三才のガキだったからな。おぼろげにしか覚えてないんだが。

 東大陸動乱。それは十五年前、この大陸に吹き荒れた嵐。

 大陸北端に位置するシュトゥルム公国がシールズ神聖国に宣戦布告した事を皮切りに、大陸内に動乱の嵐が駆け抜けた。 国と国の戦いだけじゃない。そこには邪教集団『黒き炎』の暗躍があり、かつて大陸を恐怖に陥れたヴェストア帝国の残党が蠢いていた。それらが複雑に絡み合い、大陸中が混沌の渦に引き込まれていったんだ。
 動乱は半年足らずで終焉を迎えた。そんな中、多くの英雄が生まれ、散っていったという。
 当時シールズディーンに住んでいたオレが覚えているのは、上空に出現した黒き竜。そして、清廉なる風。 後になって、その黒い竜が禍々しい力を持つ『邪竜』である事、その邪竜に人々の力が勝った事、そして、当時の国王である巫女王セレンディアが、その身に女神ケルナを降臨させた事を教わったんだ。
 あの時感じた清廉なる風。あれは女神ケルナの風だったんだ。風は戦う力。前進する力。故にケルナは戦いを司り、未来を切り開く勇気をもたらす。
「……あの時感じた風は、神官や精霊使いじゃなくても分かったさ。これはケルナ様の力なんだってな。こう、体の奥から力が湧いてくるような、いい風だった」
 オレの言葉にエルは、なんだか嬉しそうに頷いてみせる。こいつ、ケルナの神官見習いか何かなんだろうか?
「他に、何か覚えてる事ってあります?」
「そうだなあ……」
 ああ、そうだ。あれは動乱終了後の、退位宣言だったかな。
「オレ、巫女王セレンディアを見たんだぜ」
 その言葉にエルが瞳を輝かせる。
「どんな、人でした?」
 オレは目を閉じて、なんとかあの時の光景を瞼の裏側に甦らせようと努力した。
「そう……。白銀の髪と緑の瞳が、すごく神聖なものに見えた。オレはあの人が女神ケルナだと思ったくらいだ」
 小柄で華奢なのに、全身から力が感じられるような、女神の申し子と呼ばれるに相応しい姿。白を基調とした簡素な神官服に身を包み、額には『聖女の涙』と呼ばれた華奢な頭冠が輝いていた……。
(『聖女の涙』!そうだ!)
 あれは今、オレの手元にあるんだ!
 慌てて服の隠しを漁る。そこには確かに、白銀の鎖が存在した。ほっと胸を撫で下ろし、手を引き抜く。突然のオレの動きにエルは目を丸くしていたが、何も聞いては来なかった。できたガキだ。下手な好奇心は身を滅ぼすって言うからな。いい心がけだよ。
 『聖女の涙』は、白銀の鎖に涙型の飾りが止められた、本当に華奢で可憐な頭冠だ。これは、巫女王セレンディアの為に作られた王冠なのだという。 若干十五才で王位についた彼女には、代々受け継がれた王冠は大きすぎて合わなかった。それで、急遽作られたのが『聖女の涙』という訳だ。
 セレンディアが退位し、シールズは元首を国民から選ぶ共和制に移行した。最初の一年は元ケルナ本神殿武官長のアルド=リーガルっておっさんが務め、次の年からは国民総選挙が行われて、結局リーガルのおっさんが五年ほど元首をしてた。それからは一年で交代したり、同じ奴が三年ほど続いたりしたかな。 ま、国民総選挙つったって、オレみたいな盗賊には関係のないこった。オレは盗賊ギルドにも所属してない一匹狼、国の代表が代わってなにかいい事がある訳でもないしな。
「はい、どうぞ。熱いですから気をつけて下さいね」
 話が途切れたところで、エルが木の椀にスープをよそってくれた。慎重に受け取ると、湯気といい匂いが広がる。
「あとはこんなものしかありませんけど、少しでも食べて体力を回復させた方がいいです」
 そう言って取り出したのは肉の燻製だ。ありがたく受け取って噛り付く。と、ようやくそこでオレは気付いた。 エルは鍋の中身をかき混ぜ続けていて、自分が食事するそぶりをちっとも見せない。
「お前の分は?」
 エルはいいえ、と首を横に振ってみせる。
「僕、お腹空いてませんから」
 ……なんていじましい奴。一人分しか持ってない食料を、見ず知らずのオレに全部くれたって訳か?いい奴すぎて涙が出るよ。
「好意はありがたく受け取るけどな。それでお前さんにぶっ倒れられたりしちゃ困るってもんだ」
 噛り付いた肉を半分に引き裂く。スープはまだあるみたいだから、この一杯はありがたく飲ませてもらうか。
 肉を放ると、エルは慌ててそれを受け止めた。
「……すいません。もっと食料を持っていればよかったんですけど」
「謝る必要なんかないだろ。オレと出くわさなきゃそれで十分だったはずなんだから」
 全く、どこまでもいい奴なんだ。いい奴すぎてクラクラするぜ。
「……お前、迷子だって言ったよな?」
「はい……」
 肉に噛り付きながら、エルはここ数日の出来事を話し出した。
 エルと両親が東大陸に到着したのは、今から十日前。隣国ウェイシャンローティの漁村コバハテに着く臨時の船でやってきて、街道を南下して来たのだと言う。しかし途中、国境近くに広がる迷いの森で案内人とはぐれ、なんとか自力で森を抜けて国境のモルダ川を渡り、シールズに入国したと言う。
「おい、それって密入国じゃねえか」
 国境には何箇所もの関所が設けてあり、旅人はそこを通るのが決まりだ。と言っても国境線が地面にくっきり引かれているわけじゃなし、こっそり出入りする方法はいくらでもある。しかし危険だし、万一国境警備の奴らに見つかったら手痛い目にあうからな。真っ当な旅人ならちゃんと街道を通って、関所を抜けてくるもんだ。
「でも案内人とはぐれたのは不慮の事故ですし。仕方ないんじゃないかと……」
「……まあ、そりゃそうだな」
 国境に広がる迷いの森は、大地の精霊力の影響とかで、案内人なしには誰もが迷ってしまうという不思議な森だ。道を作る事すら出来ないらしい。案内人は迷いの森の中に集落を作って暮らしていて、そこで育った者だけが森の中を迷わずに抜けられるって寸法らしい。 だからこそ、迷いの森で案内人とはぐれるなんてエラい事だ。案内人の方だって、それで生計を立てているのだから、客とはぐれてみすみす迷わせるなんて真似しないはずなんだがな。
 そう言うと、エルはその通りなんですけど、と言葉を続けた。
「密猟者がいたみたいなんです。そいつらが森の獣を狩っている現場に出くわしちゃって」
 迷いの森は、案内人の村スツルで生まれ育った人間でしか抜けられない森。しかし、その血を引いた不届き者が密漁を行って、森の獣を法外な値段で売りさばいていると言う。なにしろ、普通の狩人が入れない森。獣はたくさんいるって訳だ。 案内人としては一族の面汚しに出くわしちまった訳で、まあついうっかり客を置き去りにして戦い出しても仕方ないのかもな。
「それにしても、よく迷いの森を抜け出したな。お前の両親、精霊使いか何かなのか?」
「いえ、両親じゃなくて、僕が」
 はにかんでそう言うエル。ほお、なるほどな。
「僕は風の精霊としかお話できないんですけど……」
 精霊使い、すなわち精霊と交信する力を持つもの。この力は魔術と一緒で生まれつきのものだ。努力して身に付けられるものじゃない。 ともあれ、親子三人は風の精霊に出口を見つけてもらって森を抜け、それから川を越え、この森に入ったという。この森を抜ければゼストの街はすぐそこ。そこから街道を進めば三日でシールズディーンへ着く。十五周年記念の祭は八日後の七の月一日から三日間。十分に間に合うって寸法だ。
「それで?両親とはぐれたのはいつなんだ?」
「今日の昼過ぎです。森人の村に近づいちゃったらしくて、不法侵入者として捕まえられそうになって……」
 森人。耳が細長く、人間の三倍ほど長生きする森の種族達は、自分達の村の位置を同種族以外に明かさない。知ってしまった者には死が待っているとも言われる。何でだか知らないが、昔からそういう掟があるらしい。 そこで親子は、首都で落ち合う事を約束してばらばらに逃げたのだと言う。もっとも、エルは首都への行き方を詳しく知らないので、最初は父親と一緒だったのだが、しつこい追っ手を引き離すために父親が囮になり、エルを先に行かせた。エルは風の精霊に案内を再び頼み、森の出口へ向かう途中でオレを見つけてくれたって訳だ。
「首都で落ち合う約束ね……」
 首都と言ってもいささか広い。しかも時期が悪いぜ。祭の最中なんだ、普通にどこかで待ち合わせたって、会えるかどうか怪しいくらいだぜ?
「シールズディーンに、『遥かなる旅路亭』っていう冒険者の宿があるって父様に教えてもらいました。そこの店主が知り合いだから、事情を話して待たせてもらえって」
 『遥かなる旅路亭』ね。冒険者ギルドの本拠地じゃねえか。なるほど、待ち合わせにはもってこいだな。
 さて、とオレはすばやく考えを巡らせた。
(シールズディーンか。戻りたかねえが、命の恩人が困ってるわけだしな……。二人連れなら街道も通れるだろうし、何とかなるか……)
 よし。
「それじゃ、そこまで連れてってやるよ。それで治療費はチャラって事でどうだ?」
 オレの言葉にエルは目を丸くした。
「案内してもらえるんですか?!」
「困ってるのはお互い様だからな」
 そう。困ってるのはお互い様だ。オレはこの森の出口を知らないんだから。
「ところで……お前さんの力でこの森から脱出、できるよな?」
 オレの損得計算を知ってか知らずか(いや、きっと考えてないだろうな)、エルははい!と元気に請け負ってくれた。
 よし。ウェイシャンローティに逃げるのはヤメにして、とりあえず首都に行こう。祭りの期間は人の流出も激しいから、警備兵の目をごまかして適当に逃げればいい。逆方向のマースヴァルト共和国に逃げて中央大陸にでも渡れば、もうこっちのもんだ。
 まったく、いい出会いだったぜ。こうなりゃトコトン利用させてもらうさ。
(それに、なんだかコイツ、ほっとけないしな)
 茶色い髪に緑の瞳を輝かせた、純真無垢を絵に書いたような少年。だからと言って馬鹿じゃなさそうだし、風の精霊使いなんだ、ほっといても一人でなんとかやるんだろうが。
 なんだか放っておけない、そんな雰囲気を漂わせてやがるんだもんな。仕方ないじゃないか。

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