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3.すべてはそれから
「もうお嫁に行けないいいいい!!」
 この台詞を聞くのは何回目だろうか。討伐のたびにミアはこうやって泣き叫び、部屋に閉じ籠ってしまう。そのたびに、幼馴染だからと『聖女様のご機嫌取り』を押しつけられるのだから、とんだとばっちりだ。
(でも、元を正せば、半分くらいは俺のせい……なんだろうなあ)
 紋章が尻に宿る原因となったのが、自分の迂闊な思いつきであっただろうことは、未だに打ち明けられずにいる。もっとも、打ち明けたところで何が変わるわけでもない。せいぜい自分が後ろめたさからほんの少し解放されるだけで、それでミアの苦悩が消えてなくなるわけではないのだから。
「せめて、せめて一度だけでも、花嫁衣装が着たかったああああああ」
 泣き喚くミアの背中をぽんぽんと叩きながら、からかうように言ってやる。
「どうしても貰い手がつかなかったら、俺が貰ってやるから」
「何その言い方!! ひどい!! 売れ残りの野菜を買い叩くみたいな言い方しないでっ!」
 ぷんすかと怒ってみせるミア。その怒りでようやく涙が引っ込んだのを見て、内心でホッと胸を撫で下ろす。悲嘆に暮れるよりも、笑えない冗談にぷりぷり怒っている方が、よほど彼女らしい。本当は笑っていてほしいが、こういう時に気の利いた言葉をかけてやれるほど器用な性質ではないので、代わりに「売れ残りには福があるって言うだろ」などと適当なことを言いながら、べとべとになった顔を拭いてやり、ついでに乱れた髪をわしわしと撫でつけてやる。
「もうっ、いい加減なことばっか言って!」
 ぺいっと手を跳ね除けて、自分でせっせと髪を整えるミア。そういえばまだ着替えてないとか、ああそうだ大司教様に報告に行かなくちゃとか、さっきまで大泣きしていたのが嘘のように忙しなく動き出す彼女を見守りながら、やれやれ、と扉にもたれかかる。
(……ほんと、鈍感なヤツ……)
 幼馴染だからそばにいると、彼女はきっと思っている。それは間違いではないが、それだけではない。それだけでは満足できない自分に気づいて早十年。「あと一歩」を踏み出す好機を窺っているうちに瘴魔が現れてそれどころではなくなり、ミアが紋章を宿したことで更にそれどころではなくなった。気安く話せる立場を保つことだけは成功しているが、そこから先に進めない。何より――相手が鈍すぎて、気づいてすらもらえない。
(ま、今はホント、それどころじゃないしな。でも……)
 度重なる討伐戦を経て、瘴魔の数も少しずつ減ってきた。最初は防戦一方だった戦いも、ここ最近では攻めに転じている。まずは半島を取り返し、断絶されている他国との共闘を計る。そうして最終的には大陸全土に広がる瘴魔を北の森へ追い詰め、そこで一気に滅する。そこまでに、最低でもあと三年はかかるだろうというのが、参謀達の見解だ。
 それでも、終わりなき戦いに絶望していた頃を思えば、「あと何年」と未来を語れる今の方が、よほど希望に満ち溢れている。
「なあ、ミア――」
 この戦いが終わったら、と続けそうになって、慌てて口を閉じた。これではまるで、ベタな愛の告白ではないか。しかもこの台詞を口にした者は往々にして、散々な末路を迎えることとなる。
「なあに、リューくん?」
 ばたばたと身支度を終えたミアがきょとんと首を傾げるが、なんでもないと手を振る。
「ほら、さっさと行こうぜ。陽が暮れちまう」
「わあん、待ってよう」
 立てつけの悪い扉を押して廊下に出れば、討伐隊長マリクにばったり出くわして、生温い笑みで迎えられた。
「なんだリューグ、まだこんなところにいたのか。さっさとミアを連れて報告に行ってこい」
 警備兵時代の同僚であり、リューグの『悪友』を自称するマリクは、以前のように接してくれる数少ない人物の一人だ。
「お言葉ですが、聖女様をお連れするという重要な役目は、やはり隊長が適任と」
 しかつめらしく具申するも、あっさりと笑い飛ばされた。
「俺じゃミアのドジに付き合いきれん。お前が適任だよ」
「ひっどーい!」
 リューグの背後から聞こえてくる抗議の声をさらりと聞き流し、さっさと行けよー、と手を振って、廊下の向こうに消えていくマリク。
「もう! マリク隊長ったら酷いんだから! 私そんなにドジじゃないもん」
 ぷんすかと怒ってみせるミアだが、彼の指摘は実に正しい。
 何もない道で転び、通い慣れた聖堂の中で迷い、しまいには買ったばかりの菓子を床にぶちまけて泣きべそを掻く。リューグの知っているミアは、今も昔も変わらず、ドジで泣き虫で、そのくせ頑固で、超がつくほどのお人好しで――色々ひっくるめて、危なっかしくて放っておけない、そんな少女だ。
「ほら、早くしないと蜜菓子が売り切れちまうぞ」
「えっ、やだやだ! 早く行こ! もうリューくん、そこどいて!」
 リューグを押しのけるようにして部屋を飛び出すミア。早速転びそうになっているが、どうにか踏みとどまって、その勢いのままくるりと振り返る。
「ほらリューくん! 置いてっちゃうよ!」
 さっきまで渋っていたのはどこの誰だったのか。やれやれと苦笑を漏らしつつ、のんびりと歩き出せば、待ちきれずに駆け出す少女の外套がふわりと翻り、その右足に巻きつく茨の蔓がちらりと見えた。
 美しくも残酷な茨の紋章。この先、どんなに二人の仲が進展したとして、紋章を見るたびに思い出すだろう。ミアの苦悩や葛藤、そしてあの日『尻ならどうだ』などと安易に考えてしまった己の愚かさも――。
 だから、さっさとこの戦いを終わらせて、そしてガラハドが残してくれた石碑を手掛かりに、どうにかして《滅魔の紋章》を引っぺがし、封印する。
 世界に平和をもたらし、神話時代の遺産を片付けて――すべては、それからだ。
「早くはやくぅ!」
「今行くよ」
 険しすぎる恋路に思いを馳せるのはひとまず後回しにして、急ぎ足で廊下を進む。
 まずは大司教への報告を済ませて、帰り道で菓子を買う。ついでに実家へ顔を出して、夕飯の時刻までに砦へ戻る。これらをあと二時間弱でこなさねばならないのだから、確かにこんなところで無駄口を叩いている場合ではない。
「お菓子屋さん、何時までだっけ?」
「大司教様への報告が先だろ」
 二人分の足音が遠ざかっていき、砦は再び在りし日の静寂を取り戻す。
 しばしの平穏を喜ぶように、崩れかけた天井から顔を覗かせた白い鳩が、クウクウと呑気な鳴き声を響かせた。
茨の聖女・終わり

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