確かに、ここに入れたはず――と大慌てで懐を漁るローラを尻目に、ルフィーリが小首を傾げる。
「ろーらぁ? どうした?」
「いや、だから財布が――」
 ないんだ、と言いかけて、ルフィーリがひょい、と指差した方向を凝視するローラ。
「ああっ! 私の財布!!」
「ねこさん、もってったよ」
 のほほんと告げるルフィーリの横では、店主があれまあと肩をすくめている。
「あの猫、またかい。野良なんだがね、しょっちゅう人の落としたもんを拾っちゃどっかに持ってくんだよ。これは置いといてあげるから、取り返しておいで」
「すまない! 必ず戻る!」
 そうしてルフィーリの手を引っ張って、広場を駆け抜ける猫を追いかける。猫の方も、追ってくる少女二人に気づいてびくっと尻尾を震わせ、速度を上げて人込みを駆け抜けていく。
「わわ、すまない! どいてくれ!!」
「ねこさん、まってー!」
 買い物途中の奥さんを驚かせて荷物を放り出させ、果物売りの露店に飛び込んで店主の頭を踏み越え、くるりと方向転換をしたと思えば、巡回中の警備隊の足にまとわりついて転ばせ――。
 まるでわざと追っ手を巻こうとしているかのような猫の逃げ足だったが、生憎とこちらも負けてはいなかった。
「すまない! 急いでるんだっ!」
「ねこさん、まてー!」
 転んだ奥さんを立ち上がらせ、踏んづけられた拍子に売り物の果物に突っ込んでもがく店主を引っ張り上げ、石畳に転がる警備隊の面々を飛び越えて、ひた走る猫を追いかける少女達。
 その一風変わった追いかけっこに広場中の人間が目を丸くする中、猫は時折振り返っては立ち止まり、まるで二人を誘うように広場中を駆け巡った挙句に、広場の外れまでやってきてようやくその足を止めた。
「よ、ようやく止まってくれたか……」
 さすがに息を切らして立ち尽くすローラの横で、こちらはまったく疲れを見せていないルフィーリが、財布をくわえたままの三毛猫に話しかける。
「ねこさん、それ、かえして? ね?」
「妹、猫に言葉は……」
 通じないんだぞ、と笑いかけて、ぽてりと財布を落とした猫に目を丸くする。そして猫は鼻面で財布をぐいとローラの方に押しやると、受け取れと言わんばかりになあん、と鳴いた。
「かえす、だって」
 ルフィーリの言葉にびっくりしたようにうなずいて、そっと財布を拾い上げる。すると――
「あらあらトト。またお客さんを連れてきてくれたの〜??」
 妙にきゃらきゃらとした声にぎょっとして顔を上げれば、すぐ目の前に露店があった。
「あらまあ、かわいいお客さんだこと」
 異国風の絨毯に寝そべり、ぱたぱたと手招きをするのは、長い紫色の髪を束ねた不思議な青年。褐色の肌には鮮やかな刺青が施され、楽しそうに輝く金色の双眸は、得意げににゃーんと鳴く三毛猫そっくりだ。
「いらっしゃーい。素敵な装身具、たくさん取り扱ってるわよー」
 見てってね、と科を作るその姿に、二人は素直にわーいと歓喜の声を上げる。
「わあ、きれいだな」
「これ、なにー?」
 絨毯の上に並べられた首飾りや耳飾り、腕輪や硝子の小物をしげしげと見て、賑やかな声を上げる少女達。その無邪気な歓声に笑みを浮かべて、絨毯から跳ね起きると姿勢を正した。
「きれいでしょ? アタシのご主人様が一つ一つ丁寧に作ってるのよー♪」
「ご主人様?」
「今、ちょっと買い物に出ちゃってるんで、アタシが店番してるんだけどね。すっごい男前な女性なの〜♪ この子もご主人様にぞっこんでね、こうやって時々お客を連れて来てくれるのよ〜」
 にゃーん、と鳴く猫をひょいと抱き上げ、その頭を撫でようとして、ふぎゃっと一喝される。そうして青年の腕からするりと逃げおおせた猫は、用は済んだとばかりに尻尾を振って街角へ消えていった。
 そんな後姿を恨めしそうな顔で見つめていた店番の青年だったが、すぐに気持ちを切り替えて少女達に向き直ると、ぐっと二人に顔を近づけて、にこっと笑ってみせた。
「うーん、二人とも可愛いわねー♪ 特にお姉さんの方はアタシ好みよ〜☆ いっぱいおまけしちゃうから、何か買っていかない? 贈り物にも喜ばれること間違いなしよ〜」
 商魂たくましい言葉にに、そうだなあと品物を見つめるローラ。そうは言っても逃避行の最中だからきらびやかな装身具など身につける機会もないし、小遣いもそんなに持っていない。
 しかし、並んだ品々は豪奢ではないが素朴な風合いで、なかなかに興味を引かれる。と、青年の言葉に何やら考えこんでいたルフィーリがぱっと顔を輝かせて、ローラの服を引っ張った。
「ろーら。らう、こないだ、たんじょーび!」
「え? そうだったのか?」
「そう! ごのつき、じゅうににち!」
 慌てて記憶を辿る。十二日といえば五日前。確か大雨で立ち往生していた頃だ。あの時ラウルは何も言っていなかったが、大人というものは自身の誕生日には兎角無関心なものだから、本人も忘れていた可能性が高い。
「それは大変だ。誕生日は特別な日だものな」
「それなら贈り物をしなきゃね♪」
 すかさず売り込んでくる青年に、ルフィーリが嬉しそうにうんうんと頷く。
「しかし、あの用心棒が装身具を身につけてくれるかな」
 何しろ、身を飾るということをしない男だ。装飾品といえば首から下げた聖印くらいのもので、服装も持ち物も実用一点張り。聞けば旅の途中だからではなく、普段から着るものに頓着ないのだという。
「相手は男の人? 若い? 髪と目の色は? 普段はどんな格好をしてるの?」
 青年の問いかけに、男で若くて黒尽くめ、服装には無頓着、と答えれば、青年はうーんと腕組みをして、
「普段からあまり装わない人には、派手なのやごついのは向かないわねえ。身につけてても気にならないようなものがいいと思うわよ」
 そう助言を受けて、条件に合いそうな品を探し出す。絨毯の上に並んだ装飾品の数々。その中であるものが目に止まって、二人同時に「これだ!」と指を差した。
「ね、これ、いいね!」
「ああ、これなら喜んでくれそうだ」
 二人が指差す品を摘み上げて手の平に乗せ、にっこり笑う青年。
「これなら男の人でも大丈夫。きっと喜んでくれるわ」
 それは、竜と月の意匠が施された、銀の耳飾り。耳朶に空けた穴に通すのではなく耳の縁に引っ掛けて使う形は珍しく、着用すれば髪の間から僅かに覗く程度だろうその慎ましさが、およそ装うことをしようとしない彼にぴったりのように思えた。
「これ、いくらだ?」
 真面目な顔で問うローラに、青年はちょっと待ってねと指折り計算をする。そうして提示された金額は二人のお小遣いで十分買える値段だったから、少女達は満面の笑顔で頷いて、代金を支払った。
「はーい、まいどありっ! 今包むから待っててね〜」
 硬貨をしまい込み、鼻歌交じりに包装に取り掛かろうとした矢先、遠くの方から何やら声が響いてきた。
「こらー! そこで店を出すなと何度言ったら分かるんだー!」
 見れば、警備隊らしき服装の男が三名ほど、こちらに向かって駆けて来るではないか。きょとんとする少女二人に、店番の青年が「やばっ、もう見つかっちゃった」と舌を出す。
「もう、しつこいんだから!」
「無許可で露店を出してたのか?」
「まーねー。さあお嬢さん達、一緒に逃げましょう♪」
 ぱちん、と指を鳴らせば、陳列されていた商品が宙を舞い、袋の中に飛び込んでいく。目を瞬かせる二人を手招きし、片付けを終えた絨毯の上に座らせて、青年はさあて、と絨毯の端を掴んだ。
「行くわよ、掴まって!」
「えっ!?」
「わあっ!」
 ぶるん、と身を震わせた絨毯が、ふわりと宙に浮かぶ。そしてあっという間に空高く舞い上がった絨毯は、「降りてこーい!」と怒鳴っている警備隊の面々を嘲笑うかのように空中でゆっくり旋回すると、一目散に空の彼方へ飛び去った。

「うーん、今日はいい日和だし、空を散歩するにはもってこいね」
 涼しい顔で絨毯に寝そべる青年。その真似をして転がってみせるルフィーリを、絨毯から落ちないように支えながら、ローラは真面目な顔で尋ねた。
「あなたは魔法使いなのか?」
「うーん、厳密に言うと違うんだけど、まあそんなようなもの? 今飛んでるのはこの魔法の絨毯の力だけどね」
「まほーのじゅーたん! おとぎばなし、でてきたっ♪」
 ごろごろ転がりながら嬉しそうに声を上げるルフィーリに、ローラも頷いてみせる。
「私も読んだことがある。砂漠の国に伝わる秘宝、だったな」
「これは量産品だけどねー」
 あっけらかんと笑って、そう言えば、と青年は興味津々な面持ちで二人を見つめた。
「あなた達、旅人? この街の人じゃないもんね」
「ああ。今日、この街に着いたばかりだ」
「子供二人だけで旅してるの?」
 心配そうに尋ねてくる青年に、ルフィーリが違う違うと首を振る。
「らう、いっしょ! さんにん、たびしてる」
「もう一人、用心棒がついてる。今は二人だけでおつかいに出てきたんだ」
「あら、それじゃ悪いことしたわね、こんなところまで連れ回しちゃって。お詫びに買い物手伝うわ。何を買うの?」
 言いながら絨毯の模様をぽんぽんと叩くと、それまで水平飛行を続けていた絨毯がゆっくりと降下を始める。
「買うものは、あと……なんだったっけ?」
「ほしにくにかたぱん、ほしあんずのさとうがけ、はっかあめ、かんそういも、らむしゅひとびん、あとはやくそう。かみつれとういきょうとにがはっか。みずぶくろがひとつと、あと『てき、う、きが』」
 ずらずらっと羅列するルフィーリに、青年はふむふむと頷いてみせる。
「当座の食料と薬草、あとは小間物ね。最後のは何だかわからないけど」
「買うものを書いてもらった紙をなくしてしまったんだ。最後のは、字が汚くてちゃんと読めなくて……」
「じゃあとりあえず、食料と薬草が安い店を教えてあげる♪ あっちよ!」

「財布が見つかって良かったね。またおいでよ、お嬢ちゃん達!」
「うん! おばちゃん、ありがとー♪」
「取り置いてくれてありがとう。しかもおまけまで……」
「なあに、無事財布が見つかったお祝い代わりだよ」
「アタシまでもらっちゃって悪いわねー」
 三人揃ってころころと飴を舐めながら、両手いっぱいの荷物をよいしょっと抱え直す。
「結構な量があるけど、二人で持って帰れる? アタシ、宿までついてってあげようか?」
 心配げな青年に、ローラはいやいや、と首を振った。
「ご主人が待ってるんだろう? ここまで付き合ってくれてありがとう。あとは例のアレだけだから、なんとかするさ」
 当座の食料と薬草は無事手に入ったし、約束の時間まではまだ少し余裕がある。荷物は多少嵩張るが、大した重さではなかったし、あとはどうにでもなるだろう。
「そお? じゃあ、困ったことがあったら呼んでちょうだいね」
 ぱちりと片目を瞑って、青年は歌うように己が名を告げた。
「じーん?」
 そうよ、とにっこり笑えば、額の紋章がぼんやりと光った。
「あらいけない、ご主人様が呼んでるみたい。それじゃアタシ行くわね。良い旅を!」
「じゃーね!」
「ジーンも元気でな!」
 紫の髪を弾ませて、その印象的な後姿はあっという間に人込みへと紛れ、見えなくなる。そして、残された二人は、まだまだ賑わいを見せる広場のど真ん中で、うーんと首を傾げた。
「あとは最後の一つだけなんだけどなあ」
「『てき、う、きが』、なに?」
「紙を見つけ損ねたのがまずかったな。ちゃんと読み返せば分かったかもしれないのに」
「さがし、いく?」
「いや、この時間じゃあ、もう暗くて見つからないだろう」
 あとは、字が汚すぎてちゃんと解読できなかった部分を、想像力で補完するしかない。
「旅に必要なもので、今足りないもの……?」



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