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 真冬の大地を、一頭の馬が疾走していた。
 頭上には低く垂れ込めた灰色の雲。もうじきそれは大地に雨をもたらし、そして雪をももたらすだろう。
 大気は肌を刺すほどに冷たく、その証拠に馬の息は白かった。そしてその馬を駆る人間の息も。
 馬を駆って首都から隣町へと伸びる街道をかけているのは、一人の青年だった。、
「ったく、なんで新年早々にこんな面倒に巻き込まれちまうんだよっ!」
 走る馬の上で、青年は悪態をついた。と、その片腕にしっかりと抱えられた上等のおくるみがぐずり出した。正確に言うならば、そのおくるみにくるまれた赤ん坊が、である。
「あ〜、おまえのせいじゃないって! だから泣くな! 後生だから!!」
 ここで泣き出されては大変と、青年は一言いながら赤ん坊をあやした。揺れる馬上ではなかなか難しいものがある。
 しばらくして、真意が伝わったのか赤ん坊は再びおとなしくなってくれた。
「よしよし……。もうすぐエスタインにつくから、そうしたら何とかなるからな」
 青年は赤ん坊をしっかりと抱くと、再び前方を見つめて手網を握り直した。
 とうとう降り出した雨が二人と一頭を濡らし始めた。


「ライカ! ライカじゃないか」
 馬車でも悠々通れるような大きな門は、両脇に二人の門番を従えていた。
「その声はエスタス! 何だおまえ、門番になったのか?」
 話しかけて来た門番に軽く言葉を返して、馬から降りる。馬も自分の体もびしょ濡れではあったが、腕に抱えた赤ん坊だけは濡れていなかった。ライカと呼ばれた青年が必死に雨から守ったのである。
「臨時さ。当番の奴が足折ったんで、代わりにやってるんだ」
 エスタスと呼ばれた兵士姿の青年は、兜の面隠しを上げて答える。そして、ライカの腕に大事に抱えられた赤ん坊を見て目を丸くした。
「なんだおまえ、結婚したのか?奥さんはどうした?」
「馬鹿野郎、オレはまだ独身たつ!」
 怒鳴り声に驚いて、赤ん坊が目を覚ましてしまった。
「あ〜、頼むから泣かないでくれよ。な?」
 必死にあやすかつての級友の姿を見て、エスタスは思わずほほ笑んだ。
「早く入って体を乾かせよ。その子も着替えさせないと、風邪引かせるぞ」
「おう、悪いな」
 ライカはそう答えると、馬の手綱を引いて城下町へと足を進めて行った。
「エスタス先輩、今の方は?」
 ライカの姿が小さくなってから、ずっと黙っていたもう一人の門番が尋ねる。
「先輩はやめろよ。……あいつはオレの同級生さ。楽師のライ力=レインっていうんだ」
 エスタスは懐かしげに後ろ姿を見送りながら、後輩の問いに答えてやった。


「あら、ライカ! 戻って来たの?」
 かわいいわが子の突然の帰還に、ライカの母ルーリンはあわててカウンターから飛び出した。そして、その抱えている『もの』に目をやり、仰天した。
「お前、いつの間に結婚したの? 奥さんはどうしたのよ?」
「ど−して皆おんなじ事を聞くんだよっ!!」
 実家への道筋、出会うすべての知り合いに回し質問を繰り返されたのである。
「結婚なんかしてね−よ! こいつは預かったんだ!」
 思いっきり否定すると、ライカはルーリンの差し出したタオルで赤ん坊を拭いてやりながら言葉を続けた。
「しばらく泊まりたいんだけど、いいか?」
「何よ、他人行儀ねえ。あんたの家はここじゃないの。部屋はそのまましてあるわよ。それよりその赤ちゃんを貸しなさい。そんな抱き方してたらかわいそうよ」
「ん。頼む」
 ライカはおくるみをそっとルーリンに渡した。ルーリンは慣れた手つきで赤ん坊を抱くと、その安らかな寝顔をのぞき込んで、
「かわいいねえ。女の子? 名前は?」
 と尋ねた。
「ルナってんだ。そんじゃ、よろしく頼むぜ!」
 ライカはそう答えると、階段を昇って自分の部屋へと消えて行った。
 ライカは二階の自室に約三年ぶりに足を踏み入れると、以前とちっとも変わっていないその部屋のベッドに腰掛けた。
 びしょ濡れの緑色の髪は、ご一年前からずっと伸ばしていたせいで肩を越している。青い瞳やぬけるように白い肌は、森人と人間の混血児である母親譲りだ。森人族というのは、人間の三倍ほどの寿命、すらっとした姿と長く尖った耳を待つ、森の中で生活する種族の事である。その血を半分受け継ぐ母親ルーリンの、さらに半分の血を継ぐライカは、耳こそ尖っていないが普通の人間より細身で、どことなく消えてしまいそうな雰囲気を醸し出している。
 清れた髪を乱暴に拭き、湿った上着を脱ぎ捨てる。首から下げていたメダルが壁際に市るされたランプの光を受けて、鈍く光った。
 そのメダルこそ、ライカがこのエスタイン王国の国民である証拠なのである。
 このエスタイン王国は、国民会てが冒険者という極めて珍しい特徴を持つ王国だが、もう一つ、やはり珍しい特徴を持つ。それは、国民の全員が十五歳から十七歳までの間、『エスタイン王立学園』という学園で学ばなければならないというものだ。
 この『エスタイン王立学園』は、一般教養や運動のほか、『冒険術』を学ぶ場所である。『冒険術』は、冒険著としての基礎知識、またそれぞれの適性にあった冒険術、つまり、武術や魔法といったものを学ぶ科目であり、これはエスタイン王国の『成人の儀』と大きく関係している。
 『成人の儀』というのは、エスタインエ園の十八歳になった国民達に、一年間冒険をしてこいという、なんとも苛酷な儀式である。しかし、過去六十余年。ほとんどの生徒が無事に冒険を成し遂げ、そしてその内の数人は、勇者の称号を得ている。
 成人として認められた国民は、冒険者として生きるか、民間人として生きるかの選択をする。どちらを選んでも、まったく構わない。どちらにしても、エスタイン王国の国民である証明のメダルを王直々に賜る。そしてそれぞれの人生を歩んで行くのだ。
 そのメダルは今、ライカの胸で誇らしく光っている。ライカがご一年前、友人らとともに勝ち取った国民の徴だ。
 ライカ=レイン。エスタイン王立学園第六五回卒業生にして、栄光あるエスタイン王国の一員である。
 十八の年に学園を卒業し、学園で磨いた楽師としての腕をさらに磨こうと旅に出た。それから三年。一人で諸国を渡り歩いて来たのである。
「急に帰って来たと思ったら、赤ん坊まで連れててさ。やっぱり結婚したのかと思うじやない?」
 せっせと赤ん坊のおしめを縫いながら、ルーリンは夫であるディルトスに一言った。
「まあな。でもそうだったら、いくらなんでも報告に来るか、手紙位出すだろう?そのくらいは常識ある人間だと思うぞ」
 部屋に入ったライカとすれ違いで帰って未たディルトスは、暖炉に薪をくべながら答えた。
「そうかしらねえ。なにしろ、あなたの子ですもの……」
「そりやひどいぞ」
 苦笑するディルトス。ルーリンは笑って、
「でも、いいわねえ、赤ん坊って」
 と、おしめを縫う手を休めてつぷやいた。子供はライガー人。そのテイカももう二一歳とかわいげの無い年になってしまった。
「またつくるか?」
 事もなげにディルトスは言う。ルーリンはまあ、と笑って、
「『二十一も離れた兄弟なんざいるかっ』ってライカに怒られるわよ」
 と答えた。確かにそうである。ライカがもう、結婚してもいい年頃なのだから。
「で、ライカとその赤ん坊はどうした?」
「ライカは部屋で休んでるわ。聞いたらドールの町から来たって言うんですもの。疲れもするわよ」
 ドールの町は、隣国ケルンの首都である。ここからだったらゆうに三日かかる。その三日間、息子が赤ん坊のおしめ替えやミルクやりをどうしたかを考えると笑ってしまうルーリンだった。
「赤ん坊……、ルナちゃんはあたし達のの部屋で寝かせてるわ。ライカの揺り寵を引っ張り出して来たの。あの子ったらあんなに小さかったのね」
「二十一歳だぞ。大きくなってくれなきゃ困る」
 苦笑するディルトス。ライカは大きくなったが、ルーリンはちっとも変わらない。何せ彼女は人間と森人の混血であり、その成長速度は人間のほぼ半分である。ルーリンは今四十歳だが、外見はライカと大差無い。ディルトスは人間で四十六歳なのでニ人で歩くと親子のようである。
「もう少ししたら、タごはんの支度をするわね」
 おしめをまた一枚縫い終えて、ルーリンは言った。

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