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さてその頃。ライカは部屋にはいなかった。 二階の部屋に引きこもった後、内側から鍵を掛けると窓から木を伝って下に降り、細い裏通りを駆け抜けて、近くにある寺院へと走ったのだ。 「一体どうしたのよ、この傷は」 ライカの左肩の傷に包帯を巻きながら、知識神ルースの司祭であるサミュエルは尋ねた。ここはルース神殿の中。ルース司祭サミュエル=ランデイルスの私室である。 「ちょっと、な……」 ライカは言葉を濁した。 「『ちょっと、な……』で済まされる程度の傷じゃないわよ。よくこんな体で馬を走らせてきたわね」 ライカの右肩には、剣で切りつけられたような裂傷が走っていた。応急手当はしてあったが、よくもまあ痛みを耐えて来たものだ、とサミュエルは感心した。 サミュエル=ランデイルスはライカの同級生で、『成人の儀』の際にライカと同じ班だった知識神ルースに仕える司祭である。長い金の髪と茶色の瞳のかなりの美女で当時から人気が高かったが、実は頭脳明断で思いっきり言葉がきつい人間であるため、ひとたび敵に回すとかなり怖い。 「はい! これでいいわよ。ただし、あんまり無理すると傷が開くから気をつけて」 包帯を巻き終えて、サミュエルは救急箱を片付けた。 「恩に着るぜ、サミー。おまえがエスタインにいてくれて良かったぜ。ユーリーは放浪してるって聞いたしな」 「それにしても、よく知ってたわね。あたしが去年からここで司祭やってること」 サミュエルは言った。ライカは卒業後、一度もここに帰って来ていないのである。 「ああ。半月くらい前に、レディス材でアーミィとロックに会ってな」 ライカが隣国の町で再会した同級生二人の名前を出すと、サミュエルはああ、と答えた。 「そういえば、半年くらい前に帰って来たもんね。ユナは一緒じゃなかったの?」 同級生である魔法便いのアーミィ、盗賊のロックと共に旅をしているはずの交戦士の名前を上げると、ライカは少し首を傾げた。 「見なかったけどなあ……。結婚でもしたんじゃねえの? もうそろそろ、そんな年だもんな」 自分のことは棚に上げて言うライカ。サミュエルは苦笑すると、にっこり笑って言った。 「ところで。治療代なんだけど」 途端にあわてるライカ。 「あ、ああ……。今ちょっと持ち合わせが……。なあ、ここは同級生の誼みで……」 「駄目」 あっさり言い切るサミュエル。 「そんな……。今、マジで金ねえんだよ。だから医者に行けずに放っておく羽目になったんだぜ。なっ?」 「それはそれ。これはこれ」 「んじや、出世払いでど−だっ!」 「出世するの?」 「サミー!!」 「分かったわよ」 懇願するライカの様子に笑いをこらえながら、サミュエルは言った。 「ほんとか?」 破顔するライカ。サミュエルはうなずくと、意地の悪い笑みを浮かべながら続けた。 「その代わり。その傷をどうやって受けて、しかも赤ん坊まで抱えて故郷に戻って来た訳を聞かせてもらうわ」 「……」 顔を渋くするライカ。 「なあに? 人には言えないような理由な訳?l 「ああ」 「ふうん……。それじゃ仕方ないわね。いいわ。お代はタダってことで。それで、何かあたしに手伝えることはないの?」 「ヘ?」 間抜けた声を出すライカ。理由も一言わずに怪我を負って押しかけて来て金も取らず、なおかつ手伝えることはないかと聞かれれば、誰でも相手の真意を疑いたくもなる。 「手伝えることはないかって聞いてるの」 「本気か?」 サミュエルはふふふ、と笑った。 「何よ、水臭いわね。三年間共に学んだ仲間じゃないの。その仲間が怪我を負ってやってきて、しかもなにか訳有りとくれば、手伝わないわけいかないでしょ」 「ありがてえ」 ライカは破顔した。 「んじゃちょっと頼めるか?」 「ええ」 「なるべく怪しまれないで、この町から大陸の北の果ての名もない半島まで行きたいんだ」 「はあ?」 今度はサミュエルが間抜けた声を出した。 「すんげえ無茶なことだって分かってるんだけどな。なんとか知恵を貸してくれよ」 「……。そうねえ……」 しばらく考えを巡らせてから、サミュエルは言った。 「うん。何とかなるでしょ」 「ほんとか?」 「ええ」 サミュエルはにっこりと笑った。だが、そのほほ笑みの奥の真意になんとなく感づいて、ライカはゾッとした。 「まさか、サミー……」 「あたしも一緒に行くわ」 にっこり顔のサミュエルに、ライカはやっぱり、と肩を落とした。 「危険だからやめろとか、足手まといだっていう言葉は聞かないわよ。あたしはこう見えても知識神ルースの司祭、そして今治療してやった恩と、学園時代の冒険の時に巨大蜘蛛の巣にからまって身動き取れずに餌になりそうになった所を助けた恩があるんだから」 反論する前にすべてを封じられて、ライカは口をパクパクさせた。それからハァ、とため息をつく。 「おまえ、そんな古いことよっく覚えてんなl 「当たり前でしょ。恩返ししてもらってないんだから、きっちり返してもらうわよ。ま、今回連れてくってことでチャラにしてあげる」 何を言ってもかなわないな、とライカは観念した。それにサミュエルは同期の友人で頼れる人間でもある。連れて行って損はないだろう。 「分かったよ。で、どうすればいい?」 「ちょうどいいことにね。あたし五日後から知識の旅に出ることになってるの。で、目的地は北の塔なのね。で、あたしはまだ北の塔に行ったことないの。で、あたしが方向感覚鈍いことは知ってるわね? だから高司祭様は、一人だけ随伴を許すって言ってくれてるの。路頭に迷われてのたれ死んだりされたら後味が悪いっていうんで。で、どう?」 「は?」 「馬鹿っ! 北の塔まで一緒に行く? って言ってんのよ! 北の塔は半島に近いところにあるんだから一石二鳥でしょ!」 「あーあ、なるほど」 やっと理解してライカは言い、それからにやっと笑って続けた。 「おまえ、まだその方向音痴治ってねえのかよ」 「わぁるかったわねえ!!」 サミュエルは超がつくほどの方向音痴だった。そのおかげで卒業試験の時、どれだけ苦労したことか……。なんと言っても、方向音痴のくせに妙に思い切りが良くて、自信を持って間違えるのだ。絶対こっち! と言った反対を行けば必ず正解という、不思議な人間だった。 「それ以前の問題として、左と右がまだわかんねぇんだもんな」 「それは、あたしが左利きだからって何度も言ってるでしょうが!」 つまりこういうことである。よく右左が分からない子供に、何と言って教えるだろうか。大抵はフォークを持つのが左、ナイフを持つのが右、と教えるだろう。または、鉛筆を持つのが右、でもいい。ところがサミュエルは左利き。つまりすべて逆で持っている。それなのに右利きの感覚で左右を言われると、迷ってしまうのだ。 「そんなこと言ってると、連れてってあげないからね!!」 うっと詰まって、ライカはまあまあと卑屈な笑いを浮かべた。 「悪かったよ、サミー。うん、誰にだって欠点はあるもんだ。完璧な奴なんていない!」 「言ってることがわざとらしいわね」 「気のせいだって。それで、じゃあオレは何をすればいい?」 「そうねぇ……」 サミュエルは少し考えてから、やおら立ち上がると机の上をがさごそやりだした。机の上は書類やら本やらでゴチャゴチャだ。しばらくがさごそやって、やっとサミュエルは目的物を探し当てたようだった。 「えっとね。出発は五日後の早朝。前日からルース神殿で身を清めたりお祈りをしたりするわ。あ、同行者も来てね。ルース様にお許しを頂かなきゃいけないから」 「えー!? オレも泊まるのかよ!」 「文句言わない! それで、期間は一応半年。未定だけどね。あと、荷物だけど、これが神殿から参考にって貰ったリスト。これを参考にして、なるべく少なくまとめてちょうだい。あと、港までは馬を使えるわ。だけどアイシャス大陸に着いたら全行程歩きね。あそこは寒いから。あと、旅費は神殿がくれます。でも一応都合つけてね。何があるかわかんないし……。とりあえず出発までは、荷物をまとめることくらいね。それから先は、なるようになるわよ」 「おまえ、そんないい加減でいいのかよ……」 相変わらず楽天家のサミュエルに、ライカは呆れて言った。 「なに言ってるの。ルース様はそう教えてらっしゃるのよ。歴史は流れていく。たとえ流れに逆らって自らの力で流れを切り開こうとも、歴史の流れることに変わりはない」 「そのルース様のお言葉は、方向音痴で先の見通しがつかないのと何か関係あるのか?」 「つまり! 世の中は流れてるんだから、何とかなるってことよ!」 自信たっぷりに言うサミュエル。 「前途多難……いや、前途不安か……」 この先、言葉も話せない赤ん坊と頭はいいけれど毒舌家で方向音痴な神官と旅をするのかと思うと、ライカは頭を抱えずにはいられなかった。 |
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