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epilogue

 空中に浮かぶ波紋の中心に、うっすらと人の姿が浮かび上がった。段々と姿ははっきりし、最後には実体化する。それと同時に波紋は姿を消し、歪んでいた辺りの景色が戻った。
「サミー!」
 波紋のすぐ近くで心配げに待っていた二十六歳のライカが安堵の声を上げた。
「ただいま」
 ルナを片手で抱えたサミュエルはそう言うと、つかつかとライカに歩み寄り、空いた手でライカの頬を引っぱたいた。
「ってぇ! 何すんだよ、いきなり!」
 叩かれた頬を押さえながら喚くライカに、冷ややかな視線でサミュエルが言う。
「あんたが悪いんでしょう! しばらく帰ってこないと思ったら妙な物持って帰ってきて! 時間を歪める魔法がかかった壷なんて危険なもの、どーして持ってくんのよ! おかげで過去のあたし達が苦労したの分かってんの?」
「知らなかったんだよ、そんな魔法の品だったなんて!」
「知らなかったで済むと思ってんの? 迷子になっても分かるようにリファールさんが『目印』の魔術をかけてくれたばっかりだったからよかったようなものの!」
「まあまあ、その辺で……」
 喧嘩が悪化しそうな気配を感じて、金髪の魔術士が間に入る。
「無事に済んだことですし……」
「そーはいきません! この馬鹿を徹底的に直さなきゃ、また何やるか分かんないんだから!」
「あっ、ほらでかい声出すからルナが泣きそうじゃねーか。なー、ルナ、怖い母ちゃんは嫌いだよなー」
「あらあら、ルナ。ほら泣かないの」
 サミュエルがルナをあやす。ライカが横から思いっきり変な顔をして笑わせる。
 微笑ましい光景を、目を細めて見つめていた魔術士リファールは、ルナが泣き止んだのを見計らって声をかけた。
「それじゃ壷は私が処分しましょう。危険ですからね」
「はい、お願いします、リファールさん」
 リファールは持っていた杖を壷に向け、二三言呟いた。壷が音もなく粉々になって砕け散り、光る砂になって虚空に散る。そして何もなくなった。
「さて。それでは私はこれで」
「え、もう旅立つんですか? リファールさん」
「ええ。エスタインでの用は済みましたしね」
「またいらして下さいね」
 サミュエルがルナを抱き直しながら言う。リファールはええ、と答えて二人に背を向け、去って行った。
「……それにしても、リファールさんはエスタインに何の用があったんだろう? うちに来てから一週間、ずっと家にいたんだぜ?」
 旅人リファールが、帰路途中のライカと知り合ってエスタイン王国にやってきたのが八日前。ライカが旅の土産に持ち帰った壷の、文様のある部分をルナが触ってしまい、虚空に消えたのが七日前。リファールが、自分がかけた『目印』の魔法を辿ってルナの消えた先を測定し、そこに座標を固定してサミュエルが追いかけ、ルナと共に戻ってきたのがついさっき。それまでライカとリファールは扉の外に置いた壷をずっと見張っていたのだ。
(もしかして、この壷を消すために……?)
 ふとそんなことを思ったサミュエルだったが、ルナがまたぐずり出したので考えを中断せざるを得なかった。
「さて、今何時?」
 辺りを見回すと、夕日はすでに半分ほど沈んでいる。
「もうすぐ夕飯の時間。ちなみにあれから一週間後のな」
「一週間! そんなに時間が経ってたの……。まあいいわ。じゃ、夕食にしましょ。ルナをちゃんと見ててよ! たまにしか帰ってこないんだから、いる時くらい相手しないと忘れられるわよ」
「へーへー」
 などと言いながら、三人は家へ入っていった。


 夕食後、暖炉を囲みながら三人は一家団欒を楽しんでいた。ライカが立てかけてあったリュートを手に取る。
「ライカの歌を聞くの、久しぶりだわ」
 一週間前で止まっていた編み物を再開しながらサミュエルが言う。
「何を歌うの?」
 ライカは答える代わりに、リュートの前奏を弾き出した。

 時間は 川の流れ
 命は 流れる笹舟の如く
 時の流れに 流されし
 金の髪した 時空の迷子
 川は歌う 子守歌
 赤子を抱いて流れ行く
 未来へ帰れ
 未来へ帰れ……

 無数の命の揺り籠ゆらし
 川は歌う 子守歌
 悠久なり
 悠久なり……


 歌い終わってライカは言った。
「五年前に作った子守歌さ」

終わり
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