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【5】


 ドォォォォォォォォォ……………………ン…………


 地の底から響くような音が、世界に満ちた。

 音は次第に小さくかすれていき、そして消える。

 たちこめていた暗雲が切れ、数か月ぶりの青空から太陽の光が地上に差し込む。


 恵みの光を体いっぱいに浴びながら、人々は知った。

 一つの悪が倒され

 一つの伝説が生まれたことを


 人々は待った。邪竜を打ち倒した勇者ファーンの帰りを。

 しかし、勇者は帰らなかった。

 やがて人々は噂する。勇者の正体を、そしてその行方を。

 様々な噂が飛び交い、やがて人々は日々の生活の中でその存在を忘れて行く。

 勇者は伝説となり、世界の平和は蘇った。


 ファーン復活暦元年。光ある時代の幕開けである。




 大地に横たわった邪竜の体は、急速に風化していった。

 天を衝くほどの巨体を持つ邪竜が倒れたこの場所は、巨大なクレーターの中心部。

 それは、激しい力と力のぶつかり合いが生んだもの。

 人知を越えた戦いが、そこで終決した証。

 クレーターに吹き込む風に、邪竜の尾が、手足が、胴体が、そして頭が乾いた砂となって崩れていく。

 やがてこの地には一つの王国が出来、そして中央大陸全体を巻き込む騒乱を引き起こすこととなる。

 しかし、それはまだ紡がれない物語。


 白い雲の合間から、巨大なクレーターを見下ろす姿があった。

 クレーターの端は山のように盛り上がり、力の奔流に吹き飛ばされて鋸の刃のような山脈を形成して

いる。

 風化した邪竜の体はすでに原型を留めず、やがては無と化すことだろう。

「長い戦いだった……」

 呟くのは、金の髪の青年。神々しい戦装束に身を包み、腰には長剣をはいている。

 邪竜を打ち倒した勇者、ファーンその人である。

『よくやりました。ファーン』

 鈴を転がすような声が、頭上から響いた。

 ファーンはすっと視線を上に向ける。そこには、ファーンと同じ金の髪の少女が浮かんでいた。

「……私は使命を全うしただけだ」

 感情のない言葉に、少女が表情を曇らせる。

『ファーン……』

 風が、二人の間を吹き抜ける。雲の切れ端が二人を包み、そして流れていく。

「ガイリア」

 少女の名を、唐突にファーンは呼んだ。

『何ですか?』

「……次に私が動くのは、いつか」

 ガイリアが首を傾げる。

『何故、そんな事を聞くのです?』

 ファーンはしばしガイリアの澄んだ緑の双眸を見つめ、そして口を開いた。

「もし、出来ることならば……。私は地上にてその時を待ちたい。『勇者』ではなく、ただの人として」

 ガイリアの表情が驚愕に彩られる。

 それは、ありえない考え。

 『勇者』プログラムには組み込まれない、組み込まれようはずがない気持ち。

 『勇者』は『民』に似て、『民』ならざるもの。

 『民』とは決して交じいる事のない存在。

『何故……?』

 ガイリアの言葉に、ファーンは地上を見やる。

「彼らには、決められた存在意義がない。私とは違う」

 勇者ファーンの存在意義。それは彼の自我が生まれる前から、命の中に組み込まれていた事項。

 彼は生まれ出でた瞬間から、『勇者』として存在した。

『……あなたは『勇者』です』

「使命を放棄したりはしない。ただ、次の使命までの猶予期間、彼らの世界で生きてみたいだけだ」

 何故、とガイリアはファーンを見る。

 『勇者』には勿論命があり、常に学習する力がある。

 しかし、そんな考えが生みだされようとは予想だにしなかった。

『あなたの力は強すぎるのです。人々の間では、あなたは暮らしていけないでしょう』

「ならば、この力と記憶を封じてでも」

 ファーンは頑として譲らない。

 そもそも、ファーン自身にも、何故そんな考えが浮かんだかは分からなかった。

 しかし。地上で戦った三年間。その間には色々な出来事があった。

 分身を放ち、勇者を、そして『ファーン』に生きる人々を脅かした邪竜。幾度も重傷を負い、しかし

不死身の体は倒れることはなかった。 

 勇者にとって、死は無縁のもの。だからこそ死を恐れず、勇猛果敢な戦いを繰り返した。

 しかし。

 そんな勇者を庇って倒れた少女がいた。

 重傷の勇者を気遣って、手当てをしてくれた老人がいた。

 勇者と共に、勝てるはずのない戦いを邪竜に挑む戦士達がいた。

 何人もの命が、勇者の周囲で散っていった。

 すべてを助けることは、ファーンには出来なかった。

 それでも。彼らは望みを勇者に託した。

 どんな時でも、希望を捨てずに生きていこうとする力。

 自らの存在意義も見いだせずに、それでも明日を切り開いていく勇気。

 他人を愛する心。思いやる心。


 勿論、そんな者ばかりではなかった。

 他人を犠牲にしてでも助かろうとする者。

 邪竜を崇め、人々を混乱に陥れんと画策する者達。

 勇者を責め、自らを責めて消えていった命。

 不安と絶望。恐怖に彩られた魂。

 それら全て、勇者ファーンにはなかったもの。

 ファーンにあるのは、使命。それを遂行する力。

 だから、ファーンは惹かれたのかもしれない。

 彼ら、無力な『民』に。

『……私だけでは、決められない。皆を呼びます』

 ガイリアがそう言った瞬間、彼女のまわりに十人の少年少女が出現する。

 ガイリアを合わせて十一人。十一人の、『ファーン』の神々。

 呼ぶ間もなく登場した彼らに戸惑いを見せるガイリア。そんな彼女に、すまなそうな顔で

『ごめん、全部上で見てたんだ。ガイリア。そしてファーン』

 闇と死を司る黒髪の少年、ユークがそう告げる。

 そう。神々は勇者の戦いの一部始終を見守っていた。たったの今まで。

『人として、『民』として生きることを選ぶか』

 封印と束縛の神クストーが静かにファーンを見つめる。

『でも、どうすんのぉ?そんなやり方知らないよ?』

 炎と情熱の女神パリーが困った顔で隣の青年を見る。

『出来ないことはない。一時的に能力と記憶を封じて、地上に送り出せばいいだけだよ。でも、

規定違反っていうか、そんな前例はない』

 パリーの隣で水晶球を玩ぶは、空間の神トゥーラン。

『人として生きるという事は、輪廻の輪の中に入らなければならない。しかし今の状態ではどんなに

能力を封じても、それは叶わぬ事』

 水と美の女神アイシャスの言葉に、大地と智の女神ルースが口を開く。

『輪廻の輪に組み込まれる為には、その体を捨てなければなりません。それでも構わないのです

か?』

『ちょっと!それは困るよ。一度立ち上げたらもう二度とあのプログラムは立ち上げられないんだ

から』

 風と戦いの女神ケルナが慌てて口を挟む。

『……最終手段としては、魂を二つに分け、一つは輪廻の輪に組み込み、もう一つはその体にその

まま宿して 『保存』しておく事だな。次に勇者を必要とする時になったら、輪廻の輪から半分の魂を

呼び戻して体に戻せばいい』

 境界と静寂の神セインが、珍しくまともに喋る。

『……そんなかりそめの生でも、構わないというのか』

 魔の神リィームの言葉に、ファーンは頷いた。

「記憶を封じ、この力をなくしても」

 ファーンの決意の篭もった言葉に、神々は顔を見合わせる。

『ユーク……』

『いいんじゃない?どうせ次の出番は当分先なんだから。命として生まれた以上、こいつにも生き方を

選ぶ権利くらいあると思う。規定には多少引っ掛かるけど、僕はいいと思うよ』

 ユークはそう答え、他の神々を見回す。そして彼らの表情に肯定の意思を汲み取って、再びガイリア

を見た。

『どうする?ガイリア。それが出来るのは、君だよ』

 十一人を束ねるは、命を司る少女。十人が見守る中、カイリアはそっと口を開いた。

『ファーン……』

 緑の瞳でファーンを見つめる。

『……貴方がそう望むならば』

 ガイリアの言葉に、ファーンは静かに頭を下げた。

『あなたの記憶を封じ、魂を二つに分け、その体から離して……。それでもあなたは、構わないというの

ですね?』

「構わない」

 決意のこもったその言葉に、ガイリアも心を決めたようだった。慈愛の眼差しでファーンを見つめ、

穏やかに続ける。

『それでは、記憶を封印する前に、これだけは覚えておいて……。私達は戯れにあなたを造り出した

わけではない。どんな命も、その存在意義を持っている。あなたはたまたま、最初からそれがはっきり

していただけだという事。そしてあなたがどんなに他の命と違っていても、私達はあなたを愛していると

いう事。ずっとずっと、あなたを見守っている事を……』

 そしてガイリアは、その小さき両手をかざした。

 光がその両手の中に生まれ、そして爆発的に広がっていく。

 全てが光の奔流に飲み込まれる中、ガイリアの声だけが響き渡った。

『……お行きなさい、我らが愛し子』

 そして一瞬の後、光はまるで何事もなかったかのように消滅し、後にはなにも残らなかった。




『これで……良かったのでしょうか』

『ああ。良かったんだよ』





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