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8.光

 そこは、光差す場所だった。
 見上げれば、円蓋状の屋根を無残に切り裂く亀裂。そこから降り注ぐ清廉な光に照らされているのは、床一面を覆う緑の絨毯と、巨大な水晶の柱――。
「……奴らが他言無用って言ったのは、これのことか」
「なるほど、確かにこれでは、おいそれと人を近づけるわけにはいかんな」
 柔らかな日差しを浴びて淡く輝く水晶、その中に人影を見出して、ラルフが重々しく頷いた。
「美しい人だな」
 ダリスの呟きに、こくこくと頷くハーザ。種族こそ違えど、その美しさは万人の認めるところだった。
 薄緑色の長い髪に白皙の肌、長くすんなりと伸びた耳には銀の飾りが留められている。それは古風な衣装に身を包んだ、麗しき森人の娘だった。年の頃は人間の尺度で測るならば二十才前後といったところか。
「生きて……るの?」
 その両目は固く閉じられ、手は祈りの形に組み合わされている。その胸元に輝く聖印を認めて、ハーザが小さく呟いた。
「セインの聖印だ。この人、巫女さんなのかな」
 天空の五神のうち境界と静寂を司る神セインは、定められた境界の尊厳、平和の尊さを説く。どんな小さな村や町でも、このセインの印を掲げた警備隊や自警団が組織されているほど、その存在は広く一般的だ。
 と、辺りを探索していたキューエルが、水晶柱の脇にひっそりと建てられた石碑に気づいて一行を呼んだ。
「なあ、これなんて書いてあるんだ?」
「これは……森人語か?」
「ちょっと読めないなあ」
 博学のラルフやハーザでさえお手上げとあって、一行が解読を諦めかけたところで、そのやり取りを後ろから見守っていたダリスが名乗りを上げた。
「多少なら分かるかもしれない」
 そう言って石碑の前に膝をつき、一文字一文字丁寧に読み上げてから共通語に直していくダリス。
「『我らが村の祖、守りの巫女』……続くこの部分は恐らく名前だろうが、崩れてしまって読み取れないな。ええと……『祈りは光となり、永遠の平和と繁栄をもたらさん』と書いてある」
「それってつまり……」
「人柱?」
 身も蓋もないキューエルの言葉に頷くシェリー。
「近いものがあるんじゃないのかな」
 そんな会話を交わす彼らの横では、ラルフが意を決したように水晶柱へと手を伸ばしていた。そのまま口の中で何かを唱え、そして小さく首を振る。
「魔術ではないな。やはりセインの神聖術か何かか」
「……だろうな。他宗派の呪文には明るくないが、境界の神というくらいだ、こういう神聖術があってもおかしくはない」
 いつの間にか隣にやってきたダリスが、神妙な面持ちでそう答える。そのまま、無言で水晶柱をみつめている二人に、シェリーは肩をすくめてみせた。
「まあ、オレ達の目的は、この人をどうこうするってことでもないし」
 確かに、と呟いて手を離すラルフ。彼らが今なすべきことは、薬草を摘んで帰ることだ。
 足元に生い茂る草を手に取れば、今度こそ間違いない。長老達がアルムの葉と呼んでいた例の薬草だ。
「あの他言無用ってのは、これを見たことを黙ってろってことだろう」
「詳しいことが知りたければ長老に聞いた方が早いだろうし」
「となれば、さっさと摘んで帰るに限るな」
 言いながら、早速長老から言いつけられた分量の薬草を摘み取り始めるキューエルとハーザ。せっせと草摘みに励む仲間達に、ラルフはどうだか、と独りごちた。
「そう易々と教えてくれるものかな」
 大体において、永遠の繁栄のはずが見事に寂れたこの様子、尚且つお膝元にスライムだの犬鬼だのが蔓延るというこの状況は、お粗末としか言いようがない。
「教えなければ他言するぞと脅しをかければ」
 笑いながらとんでもないことを言ってのけるハーザには、すかさずシェリーの拳骨が飛んだ。
「よし、こんなもんだろ。傷みやすいってんだから、さっさと引き上げるよ」
 ほどなくして麻袋いっぱいの葉を摘み終え、一行は光射す静寂の広間を後にした。日が暮れる前に村へ戻ろう、と張り切る空人二人が先行し、それを麻袋を抱えたハーザが追う。
 最早盗賊の出番はない、とばかりにのんびり歩き出したシェリーは、広間の入り口まで引き返したところで、はた、と立ち止まった。
「ちょっとダリス、何して――」
 振り返りかけて、思わず言葉に詰まる。
 傾きかけた日差しの中、静かに輝く水晶の柱。その中で眠る、緑の乙女。
 その閉ざされた瞳と向き合うようにして佇むダリスの横顔はまるで、虹に焦がれて手を伸ばす幼子のようにあどけなく。
 その琥珀色の瞳に浮かぶのは、嬉しさともどかしさ。そして強い決意。そう、まるで――。
(……まさか、ね)
 ぶんぶんと頭を振り、シェリーは努めて明るい声を上げた。
「おーい、引き上げるよー!!」
「ああ、今行く」
 足早にやってきたダリスの顔からは、先ほどの表情はすっかり拭い去られていて、それだからシェリーは先ほど思いついたことなどすっかりさっぱり忘れ、遥か前方で何やら騒いでいる男衆をどやしつけるべく足を速めたのだった。

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