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9.時の彼方

 村は、夕闇に包まれていた。
 静まり返った村に一つだけ、ぼんやりと灯る明かり。それを頼りに疲れた体を引きずって、最後の道のりを進む。
『おお、よく戻った』
 わざわざ戸口で彼らを出迎えてくれた老人達は、土埃にまみれた一行の姿にわざとらしく咳き込んでみせた。
『随分と汚れたもんじゃな。中はそんなに荒れ果てておったかの?』
「荒れ果てた、どころの騒ぎじゃないよ、まったく」
 ぱんぱんと埃を払いながら答えるシェリー。同じく体の埃を丁寧に払ったハーザが、薬草の詰まった麻袋をおずおずと差し出す。
「これでいいんですよね?」
『おお、間違いない。アルムの葉じゃな。早速、薬作りに取り掛かるとしよう。なに、半日もあれば作り終わるだろうて、それまでここでゆっくり寛がれるがよかろう』
 そう言って奥へ引っ込もうとする長老の服をがしっと掴んで、シェリーはにこやかに口を開いた。
「ちょっと話を聞かせてもらいたいんだけど」
 その言葉で察しはついたのだろう、しかし長老はとぼけた口調で切り返す。
『何じゃな』
「あの水晶の中の女は何なのさ」
「シェリー、もうちょっと言い方ってもんが……」
「うるさいね、今更言葉を飾ったって仕方ないだろ。他には言わないから、教えてよ」
 三人は一行をゆっくりと見回し、その表情を見て仕方ない、とばかりに頷き合った。
『そうさな、今更隠したところで仕方のないことじゃ。くれぐれも、他言無用に願うぞ』
「分かってるってば。だからさっさと――」
『まあ、そう急くな。夕食でも食べながら、話すとしよう』


『さて、何から話そうかの。そうさな……まずはこの村の成り立ち、そこから紡がねばなるまいて』
 薪のはぜる音を伴奏に、まるで吟遊詩人の詩の如く居間に響き渡る昔話。
 訥々とした語り口調は、聞く者を遥けし時の彼方へと誘う。
『……彼女は、わが村を守護する巫女姫じゃよ。遥かなる昔、我らの祖先がこの地に村を築いた折に、村の平和と繁栄を願って神にその身を捧げたのじゃ』
 かつて、人が脆弱な存在であった時代。世界に満ち溢れる数々の脅威から己が一族を守るため、森人達はありとあらゆる工夫を凝らした。
 魔獣を従えて守りに据える集落あり、強力な神具を以て守りとする集落あり。そしてこの村における守りこそが彼女――巫女の存在だった。
 境界と静寂の神セインに仕える巫女姫は、その当代一と言われた力で自ら守りの柱となり、この村を囲む結界を生み出したのだという。
「じゃあ、あの人は死んではいないの?」
『無論、死んでなどおらぬよ。現在では失われてしまったようじゃが、セインに伝わる特殊な結界術の要となっているだけじゃ』
『……とはいえ、すでにその結界の威力も大分薄れておる。かつては村人以外、この森に一歩たりとも立ち入ることが叶わなかったほど強力な結界が張られておったのだからのう』
「なるほど、森人の集落がどうしても見つからないわけは、そういった結界の存在があるからか」
 感慨深く頷くラルフに、その通りと頷く老人達。森人の集落にはどこでもああいった祠があり、何某かを祀る習慣があるという。その存在を外部に漏らさぬよう、一族以外の者を決して招き入れないという、森人独自の風習が生まれることとなったのだ。
「でも、もう結界の威力も薄れてるし、守るべき村もないし、出してあげた方がいいような気がするけど」
 シェリーの言葉に、老人らは力なく首を振る。
『我らもそう思うのだが、あの術は二千年で解ける仕組みになっている。それを待つ以外に術がない』
「二千年って、あとどのくらい?」
 そうさな、と顎を掴み、やれあれは何年のことだったか、あの事件が何年だから、と討論しあうこと、しばし。
 ようやく老人達が出した結論は、
『1405年の新緑月金鹿の日の正午じゃ』
「なんだい、そりゃ?」
 思わず目を丸くするキューエルに、ダリスが苦笑交じりに補足を入れた。
「森人独自の暦だ。標準暦に直すと……復活暦142年の五の月二十五日の正午ということになるかな」
「やけに細かいが、正確なんだろうな?」
『ああ、間違いない。かつては毎年、その日その刻にあわせて祭を行っておったからのう。村の守りを讃え、永の繁栄を願う祭をな』
「ということは、あと約四十年か……」
「随分と先の話だなあ」
 指折り数えて呟く空人達を横目に、長老達は深い溜息をついた。
『だがな……もはや、このような慣習は必要とはされておらぬのかもしれん』
『我らの祖先は永遠の繁栄を願った。しかし、永遠などというものは存在しないのじゃよ。そんなもののために、あの巫女姫は自らの人生を捧げた』
 言葉の端々から滲み出る悲愁、そして悔恨。それらもまた、彼らが先祖代々受け継いできたものなのだろう。
 かける言葉も見つからず、ただ沈黙する一行に、老人達は凪いだ瞳でこう続けた。
『……我らはもう長くはない。それ故に我らはおぬしらに願う』
『人の子達よ、どうか覚えておいてほしい。愚かな我らを。そして悲しき巫女姫を。このまま誰の目に止まることもなく、時の流れに埋もれ行くこの村を……』
『そしてもし出来うることならば、あの姫が目覚めた後、我らのことを伝えておくれ』
 静かに紡がれた言葉に込められた、赦しを請うような響き。それに答えたのは、シェリーだった。
「……わかった」
 そっけない一言。それでも、彼女のそんな言葉に、老人達は深々と頭を下げる。
『ありがとう。短き定めの子達よ』
 掠れた声は森を渡る風のように、彼らの胸に染み込んでいった。

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