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そう、あれは建国百五十年を記念した、祝祭の日だった。
広場に集まった国民や居並ぶ来賓の前で、初めて披露された宝珠。『水竜の心臓』とも伝えられる巨大な宝玉は陽光を浴びて青く輝き、人々の目を釘付けにした。
その日は宝珠お披露目のほかにも重大な発表があると予告されていたから、誰もが王の再婚報告だと信じて疑わなかった。
名を呼ばれ、しずしずと王の隣に並んだ魔術士。その、いつもと違う妖艶なドレス姿に、何故だか胸がそわそわして、居ても立ってもいられなかったのを覚えている。
『共にこの国を見守っていこう』
差し出された宝珠を恭しく受け取り――そして高らかに笑う『魔女』。
『これで、この国は私のものだ!』
雷鳴と閃光が空を引き裂き、世界から色を奪う。
『お前はここにいるんだ、ファイ』
幼い王子をその場に残し、逃げ惑う人々を掻き分けるようにして手を伸ばすアルスル。
『止めるんだ! 何故お前が、そのようなことをする――!』
『無能な王よ、お前はもう用済みだ!』
宝珠を手にしたまま、ふわりと空に浮かび上がる魔女。大きく振りかぶられた杖。轟く雷鳴と、人々の悲鳴。
そして、閃光の中に消えた、父の背中――。
「いやーびっくりしたよな。あんなの打ち合わせになかったからさ」
「あなたにまともな演技なんて期待していませんでしたから。騙し討ちすれば、あなたも本気で乗ってくるでしょう」
「それにしたってあれはないだろ。さすがに死んだかと思ったもんな」
呑気な口調と殺伐とした内容がまったく嚙み合っていない、何とも言えない軽妙なやり取り。
そして何より――懐かしい、この声。
「――父さん!?」
意を決して振り返れば、そこには――ひらひらと手を振る、緊張感の欠片もない父の姿があった。
かつてとは比べるべくもない質素な服に身を包み、髪や髭には白いものが混じっているが、その顔を見間違えるわけもない。
あの時、非情なる魔女の一撃に斃れたはずの『最後の王』アルスルが、『父の仇』と死闘を繰り広げようとしていた息子の背後でにこやかに手を振っているという、この奇怪な現実に打ちのめされて、訳も分からず立ち上がる。
「――帰る」
やっとのことで絞り出した言葉に、間髪入れずに待ったがかかった。
「待て待て、十年ぶりの再会でそれはないだろ」
「というか、どこに帰る気ですか。あなたの故郷はここでしょう?」
ひし、と縋りついてくる二対の腕を邪険に振り払い、キッと振り返る。
「滅びてんだよ、故郷は! お前らの茶番で滅びたんだろうが!」
「茶番だなんて酷いな、息子よ。誰も傷つかない結末を模索した結果だぞ。まあ、父さんもまさか真正面から魔法を食らう羽目になるとは思わなかったが。おかげで半月ほど昏倒する羽目になってな」
「すいませんねえ。演出を優先したせいで、ちょっと加減がうまくいかなくて」
そう言ってちろりと舌を出す魔女を「こいつめ」と小突き、軽やかに笑うアルスル。
これが『国を滅ぼした悪い魔女』と『魔女にたぶらかされた愚かな王』の会話だと、一体誰が思うだろうか。
「……何が『誰も傷つかない結末』だ。俺はメチャクチャ傷ついたし、父さんと先生の名誉も人生もズッタズタじゃねえか!」
湧き上がる怒りに任せて吐き捨てれば、そこで初めて二人の顔から軽薄な笑みが消えた。
「すまない、ファイ。お前を仲間はずれにして、何も知らせないまま放逐した。幼いお前の心を踏みにじり、傷つけたことは確かだ。その件に関しては全面的に俺とこいつが悪い」
「その通りです。あなたに責を負わせたくないあまりに、何も告げなかった。そして、本来ならば希望に満ちあふれていたはずの、あなたの子供時代を犠牲にしてしまった。どんなに謝罪しても足りませんし、許してもらえるとは思っていません。でもね」
くるりと振り返り、晴れ晴れと笑う魔女。
「私の名誉なんて、どうでもいいんです。ましてや人生なんて、本当に些細なことですよ。私は不老不死の魔法使い。十年なんてそれこそ瞬きの間です」
「俺の十年はそれなりに貴重だったんだが、賭ける価値はあったさ。それに、名誉なんてものは、あったところで腹の足しにもならんしな」
がははと笑うアルスル。記憶の中の父とまったく変わらない無頓着ぶりが、今は無性に腹立たしい。
「よくないだろ! 二人がよくても、俺はよくない! 今からでも遅くない、本当のことを知ってもらおう」
最後の王アルスルは誰一人傷つけまいと、最後まで奮闘した。魔術士リファは自ら悪役を演じることで、王の誠意に答えた。
そして、故郷を追われた幼き王子ファイナスは、父の仇を討つという目標があったからこそ、今日まで生き延びることが出来たのだ。
それこそが真実。それこそが、語り継がれるべき物語ではないか。
しかし、涙交じりの訴えに、二人は揃って首を横に振る。
「本当のことなんて、誰にも分からないんですよ。それでいいんです」
「あと百年もすれば、すべては砂の中さ。いや、もしかしたら、とんでもないお伽噺になって、しぶとく生き残るかもしれないな」
それはそれで面白い、と微笑んで、最後の王はさあて、と大きく伸びをした。
「お前の安否も分かったことだし、水竜の弔いも終わったからな。これからどうしようか」
「弔い?」
そういえば、なぜ二人がこの地に留まっていたのかは聞かされていなかった。問うように視線を向ければ、リファはよいしょ、と立ち上がり、廃墟の向こうを指さした。
「見えますか? 湖の真ん中にある島。あの島こそが、湖を生み出した水竜そのものだったんですよ」
目を凝らせば、すっかり干上がった湖の真ん中に、小さな島の影が見える。
王家の墓所だと聞かされていた場所だが、足を踏み入れたことはない。
「水竜は建国王ライネスの願いを聞き入れて湖を生み出し、深い眠りについた。やがてその肉体は小島となり、最後までライネスの血筋に寄り添った、というわけだ」
「竜の亡骸は質のいい魔術の媒介になります。放置すれば、目ざとい魔術士やら盗賊やらが大挙して押しかけ、亡骸を蹂躙したことでしょう」
だからこそ、時間をかけて丁寧に弔い、そのすべてを世界に還す必要があった。結界を張って余人を入れないようにしていたのもそのためだと、得意げに語るリファ。
「暇そうだったこの人にも手伝ってもらって、先日ようやく終わったところなんですよ」
「暇そうとか言うな。まあ、ほかにやることもなかったし、先祖代々世話になった相手を弔うのは当然のことだからな」
少年が無我夢中で駆け抜けた十年間。それと同じ年月を、彼らは地道で過酷な作業に捧げていた。誰に知られることもなく、ただひたすらに。
「……馬鹿みたいだよ、俺も、あんたらも」
そうとしか言えない自分が歯がゆくて。それでも、今はそれが精いっぱいで。
「ああ、そうだな。でも無駄じゃなかった。そうだろ」
「……そういうことにしといてやる」
万感の思いを込めて、あーあ、と大きく息を吐く。
言いたいことは山ほどあるけれど。納得いかないこともたくさんあるけれど。
今はただ――十年ぶりの再会を喜ぼう。
そのくらいは、許されるはずだから。
「俺、この十年でメチャクチャ強くなったんだぜ。きっと父さんなんか片手で一捻りだな」
「大きく出たな、ドラ息子め。言っておくが、城での手合わせはかなり手加減してやってたんだからな」
「はいはい、積もる話は後にしましょうね。今はひとまず、今日泊まるところを考えましょう。一番近いオアシスまで、ラクダでも三日かかります。我々は徒歩なんですからね」
「魔法でぱっと空を飛んでいったり出来ないのか?」
「あなた方を抱えて飛ぶのは重すぎて無理です。ああ、あんなに小さくて可愛かった王子が、こんな筋肉ムキムキに育つなんて……よよよ」
「お前らのせいで鍛えざるを得なかったんだろうが! ったく――俺の十年間を返せ――!」