300字SS

青海波

 彼はあまりに人の良い漁師だった。 人が良すぎて、網にかかった人魚を見逃すどころか、怪我の手当をして飯まで食わせる始末。 呆れ果てた人魚は、恩を返すためと言い張って、押しかけるようにして彼に嫁いだ。  十日に一度、彼は隣村まで魚を売りに行き…

幻影燈

 怪しげな露天商から、『幻影燈』なるものを手に入れた。 なんでも、忘れてしまった景色を映し出してくれる、特別な一品だという。 手順書に従い、庭に天幕を張って夜を待つ。 日付が変わるその瞬間、内部のランプに火を点せば、青い光が天幕を埋め尽くし…

メルヒェンを探しに

 読みかけの文庫本を手に取った拍子に、挟んでいた栞代わりの葉書がはらり、と床に落ちた。 その辺にあったものを適当に挟んだだけだ。どうせダイレクトメールの類だろう、と思いつつ拾い上げれば、目に飛び込んできたのは「銀の三日月サーカス団」の文字。…

誰もいない街

 誰もいない街の、誰もいない大通りを、生ぬるい潮風が通り抜けていく。 かつては小高い丘の上にあった道路も、今は間近に海が迫り、潮の匂いはきつくなる一方だ。 住む者のいなくなった建物は風化して骨組みが露わになり、乗り捨てられて錆びついた自動車…

取捨選択

 気づけば、いつだって間に合わせの人生だった。 とりあえず安いものを。とりあえず着られるものを。とりあえず使えればいい。 「とりあえず」で増えていった私物は、どれも思い入れなどないくせに、もったいない精神が邪魔をして処分できず。 気に入って…

本の姫

 幼い姫が幽閉されたのは城の書庫。 ただ一人、数多の書物に囲まれて育った姫は、今日も窓辺で吐息を漏らす。「ああ、つまらない」 すべては書物が教えてくれた。この世の成り立ちや沢山の動植物。異国の言葉や風習。 喜びや悲しみ、怒りや憎しみといった…

小さな世界

 春なので、奮発して本革の旅行鞄を新調した。 熟練の職人さんによる、世界に一つだけの逸品だ。 蓋を開ければ広がる、小さな世界。 布張りの青空には白い雲が浮かび、ビーズ刺繍の草原を風が渡る。 流れる小川は煌めいて、岸辺には色とりどりの花々が咲…

凱旋

 勇者が魔王を討伐した――その一報がもたらされた瞬間、国中が歓喜に包まれた。 世界の果てにある魔王城を目指して旅立った若き勇者一行。彼らの旅路は想像以上に険しいものとなった。 幾度も裏切られ、仲間を失い――最後はただ一人、魔王城へと乗り込ん…

ひとめぼれ

 目が合った。まさにそういうことだろう。 気づいた時にはぎゅっと胸に抱きしめて、レジへと向かっていた。 給料前の財布には些か厳しい出費だったが、気にしないふりをしよう。 お店で一番大きい袋でも入りきらない大きさだったから、そのまま抱きしめて…

優しい狐

 御用聞きから世間話に横滑りし、お稲荷さんの狐を壊して回った不届き者が捕まった、という話になったところで、小さき巫女はくく、と目を細めた。「あの辺りの狐どもは優しいのう。妾わらわなら即座に祟ってやるものを」「物騒なこと言わんでください。てか…

秋景

 VR世界《EDEN》にも秋が来た。木々は赤や黄色に染まり、澄み渡る空には赤とんぼが舞う。 絶景スポットは各所にあるが、なかでもこの《YAMATO》サーバは格別だ。夕焼けに染まる寺院を見ながら季節限定メニューに舌鼓を打つ、なんて贅沢も、比較…

とある時計職人の日課

 最初は、ただ鐘に祈りを捧げるだけだった。 そこに信仰心などなく、父の慣習をただなぞっていただけだ。 現実主義者だった父が『正確な時計を作るために欠かせない日課なのだ』 と真顔で述べていたのが不思議だったが、何のことはない。 父は、単に知っ…